Feb 1, 2007

サボり気味な此の頃


毎日ご飯を食べるように、日記を書こう思っていたが、色色なコトに苛まれ、良い訳をつくり、書いていませんでした。 いけない、いけない。
最近、カメラを持ち歩いています。
朝、撮りたいから通勤に持ってって、似たような時間と似たような場所を撮っています。
それでも、やっぱ風景は全然違うんだよね。
同じ場所でも、同じ時間帯でも。
通る人も、光も、すれ違う人のテンションも
笑ってたり、カリカリしてたり、まるかったり、尖ってたりしていて・・・。
悲しいけど、最近は尖った人が
多いような感じがする。
俺もその一人なんかな。
宇宙からしてみたら、俺の考えてることなんて、数ナノも満たないぐらいどうしようもなく、途方も無くチッポケなコトなんだろうけど
最近はナノテクノロジーが発達してて、小さいモノが世界を変えて行くパワーになるかもしれないんだし、ま、このままでいっかと思ったりもしているのです。
一年半前、医者に、子どもが生めない身体になるかもしれないと言われた時、
病院にいるキッズたちを見て、電車に母さんと父さんとキッズが楽しげに会話してるのを見て、思いました。
「今と未来に生きる子どもたちが優しく生きれる世界であってほしい」と。
どうか、
頼むからそうなっていてくれと・・・
言うのは簡単なんだよね。
でも、結局、行き着くとこは、今僕がどう生きるかであって
その積み重ねが自分を象り、未来も今も形作っていくんだなって・・・
当たり前を当たり前にしていくことがエエんやなって・・・
改めて、思うわけです。
ちょうど同じ頃、親友が事故で亡くなりました。
僕が教習所に免許を取りに行ってる時に事故で逝くなんて、変なタイミングです。
一緒に野球やってて、バッテリーでした。
彼がキャッチャーで、僕がピッチャーで。
二人とも大して上手くなかったけど、面白おかしくボールを交わしていました。
お互い、野球から離れた後も、頻繁に会って、遊んでいました。
最期に交わした言葉も場面も全く覚えていないけど、キャッチボールを交わしていたボールの感触とかは、やたら覚えています。今でも、多分これからも。
それでも、日々は普通に流れていくもので、
もう一年以上が経っています。
何かふいに、思い出して書いてしまいました。
やっぱり、優しい人になりたいんだ。
OKaz


Posted in 月ノ冬2 Comments » 

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コメント2件

 teleco | 2007.02.02 3:59

なんだか、透明な物がすっと入り込んできたような、そんな気持ちになりました。
かなしい事が多すぎて、不安になるような事ばかりがあるけれど、だからこそ自分が自分として、いかに身の回りの幸せに気づき、受け入れられるのかってことが試されてるのかな。とか、思います。
やっぱり、優しい人になりたいんだ。
というOKazさんの言葉にすごく共鳴というか、自分が今、求めていたものを見たような気がしました。
うまく言えていないし、意味不明なインナーワールドに入り込んだ感想になってしまって申し訳なさ過ぎるのですが、OKazさんの言葉や存在に勇気づけられたり浄化されている自分が居ます。ってことをただ言いたかったんです。

 OKaz | 2007.02.02 10:03

teleco>
おはようございます。
当たり前が当たり前じゃなくなった時に、自分がそれらをどう受け入れていくかってスゲー重要なことだと思うんです。環境とか状況が変わっても、日々は普通に流れて行くから。だからこそ、telecoさんが言ってくれたように、自分が自分として、いかに身の回りの幸せに気づき、受け入れられるのかってことが大切なんだと思います。
僕は、ああいう病気というか症状になったから、キッズを見るようになったし、彼らのことを考えるようになったんです。なってなかったら、今みたいな発想は浮かんでいなかったかも知れないし。だから、プラマイゼロとまではいかないけど、失うと同時に得るチャンスがどっかにふいに転がってるんじゃないかって、思うんです。
それを拾って、紡いで、カタチにしたら、きっと素敵なことが起こるんでしょうね。
僕も、どっちつかずなインナーワールドに浸ってしまって、申し訳ないです。でも、この世界はどこかに持っていたいものなんですわ。
telecoさんのお芝居を観劇させて頂いた時、新鮮にこの人達はスゲーって思いましたよ。と同時に僕も頑張らねば!って発奮させられました。
telecoさんの表現から色色もらっていたんです。
いつ返せるか分からないけど、きっと返します。
OKaz

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